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これから喪主になる方、葬儀社を探されている方の参考になればと考え、このシリーズを企画いたしました。

葬儀

父親の葬儀 そして最期の瞬間    (株)東日本メモリアルサービス 成田竜也

去る4月19日、午前3時44分、私の父親が胃がんで息をひきとりました。
享年60歳でした。
昨年の5月に入院・手術し、余命は約1年と宣告されましたので、お医者様の見立て通り宣告から11ヶ月で亡くなりました。
4月18日午前、父の容体が思わしくないとのことで、入院先の千葉県流山市の東葛病院へ急ぎ車を走らせました。 私が病室へ着くなり、目の前に飛び込んできた光景・・・。
がん患者の苦しむ姿を間近にしました。
モルヒネが切れて痛みにこらえきれなかったのか、痩せた体を左右に動かし、両腕で酸素マスクを外したり、上半身の病衣(病院のパジャマ)を脱ぎ捨て、痛みをどうしようもできなかったのだろうと思いました。
父の手を握ったら、私の右手の親指に爪の後がはっきりとついていました。
その爪あとは1日たっても消えることはありませんでした。
これから息をひきとるがん末期患者が、これほどまでに力があるとは・・・。
この日私は病院に泊まりました。
暫くは容体が安定していましたのですが、午後1時を過ぎたころ、肩で息をする状態になったので、ずっと手足をさすりながら、息が止まる瞬間まで病室にいました。
30分ほどは呼吸が荒かったのですが(激しい運動をしたあとの呼吸状態のような)、荒い呼吸から、だんだんと呼吸が浅くなりました。
最期は「スー」と息を吐いて、そのまま呼吸が停止しました。
人間の呼吸が止まる瞬間というのをはじめて見たのです。
私の父の葬儀は、亡くなる30分前の看取りの瞬間から始まっていたのだと思います。

父が亡くなる2ヶ月前、父の家でこんな話をしました。
父:俺が死んだら、よろしく頼む。
私:いつになるかわからないけど、話だけは聞いておく。悲しくなるからもうこの話はやめよう・・・。
父:60にもなれば生きることに執着は無い。足も悪くなってトイレに行くのもやっとなのに、こんな状態で何年も生きてみぃ?病人を見る人が悪くなるって。死んで悲しいのは最初だけだから。完全に治る見込みがあるんだったらお金もかけられるけど、そうでもなさそうだしな。
私:わかった。もし、そうなってからの話をしよう。
こうやって、まだ父の意識がしっかりしているうちに葬儀の話をしました。

亡くなってからどこにご遺体を安置するのか?葬儀はどこでおこなうのか?
誰を呼ぶのか?それこそ、普段私が仕事で行っている事前相談そのものでした。
葬儀の事前相談、生前予約というのは、いざという時慌てなくても良い「最善の方法」です。
事前相談・生前予約が葬儀の疑問点・不安点を解消できる「最善の方法」ですが、それは近い将来人が死ぬ前提での相談と準備ですから、よほどの覚悟を持って相談に臨まないと、腹を割った話はできません。
ですので私達葬儀社も、相談には全力で臨みます。真剣に話を聴きます。
葬儀のやり方やお金がいくらかかるかを理解することよりも大切ですが、人と人が向き合って、目と目を見ながら話をすることことが最も大切なことです。
父もそうでしたが、当社に相談に来られた方も、直接会って話をすることで、葬儀の疑問点・不安点を解消される方がほとんどでした。

父の葬儀が終わってから想うこと
父が亡くなる2ヶ月前から、仕事の合間を見てはお見舞いに行きましたが、生きているうちに、そして意識がしっかりしているうちに「何でも良いのでもっと会話をしておけばよかった」と今でも思っています。
がん患者の最期とはどんな状況なのかをはじめて経験しました。
もし、このサイトをご覧になっている方の中に、余命いくばくも無い身内の方がいらっしゃったら・・・。
どうか意識がはっきりしているうちに、たくさん会ってください。
会話もしてください。

亡くなってからでは何もできませんので・・・。

葬儀

思い出のお葬式  ホワイトロード 小池育子

明け方「主人が亡くなりました」と一本のお電話をいただきました。
病院へお迎えに行き、ご自宅での安置です。
お子さまは、私より少し歳上のお姉さまと弟さま。
ご遺体の処置を始めようとすると、ご長女さまが私の側から離れてくれません。
何をしようとしても、ピタッと横に張り付いて全く動きがとれません。
しかも何故か応対が冷たく。
「?」と思いながらも、基本的な処置をして、みなさま看病でお疲れだろうからと、翌日の午後に打ち合わせの約束をさせていただきました。
翌日伺うと、昨日よりも応対が若干軟化しているような、いないような。
それでもご遺体の状況を確認し、打ち合わせを行いました。
そして翌日も。そのまた翌日も。
ご自宅安置でしたので、ご遺体の状況を確認するため毎日お伺いしました。
そして葬儀。
滞りなく終了し、後飾りのためご自宅へ。
ご遺骨、お位牌、お写真と、お線香の支度をして、葬儀後の説明も終わり、失礼しようと立ち上がりかけたら、いきなりご長女さまが改まって正座をされ
「父をこんなにも大切にしてくださってありがとうございました」
と深々とお辞儀をされました。
聞けば、ご主人のお父様のときの葬儀社の方が、まるで物を扱うようだったと。
それ以来葬儀社に不信感を持たれていたということでした。
なるほど。それで初対面のあの対応だったのかと府に落ちました。

ご長女さまと言えば、別のご葬家でのことです。
後飾りでご自宅に伺い、祭壇の用意をし、ご長女さま仕切りで順番にお線香をあげていたときのこと。
お母様、弟さま、妹さま、それぞれの配偶者さま、そしてそれぞれのお子さまたちの順番で、私はお部屋の入り口で「ご長女さま本人は最後なのね」と思いながら控えていました。
いよいよご長女さまの番になったとき、大きくにっこり微笑まれて「じゃあ次は小池さん」っておっしゃってくださったんです。
あまりのことに胸が一杯になりました。